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【NBA】ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)とは?どんな選手?年俸は?成績は?

ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)とは?

引用元

名前 ドウェイン・タイロン・ウェイド Jr.
生年月日 1982年1月17日
出身地 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
身長 193cm
体重 100kg
ポジション シューティングガード / ポイントガード
利き手
高校 ハーランド高校
NBAドラフト 2003年全体5位でマイアミ・ヒートに指名
NBAデビュー 2003年
所属チーム 引退
SNS Twitter: 約116万人
Instagram: 約1650万人
Facebook: 約820万人
TikTok: 約20万人
YouTube: 約7.5万人

ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)は、アメリカの元プロバスケットボール選手で、シューティングガード/ポイントガードのポジションを主に担当していました。ウェイドは、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身で、1982年1月17日生まれです。

ウェイドは、高校時代からバスケットボールの才能を発揮し、マーケティング戦略を編み出していたシカゴのナイキ社が彼とスポンサーシップ契約を結び、その後マーケティングプランの一環としてジョーダン・ブランドを立ち上げました。2003年のNBAドラフトでマイアミ・ヒートに全体5位で指名され、プロバスケットボール選手としてのキャリアをスタートさせました。

ウェイドは、マイアミ・ヒートのフランチャイズプレーヤーとして、同チームの黄金期を築き、レブロン・ジェームズやクリス・ボッシュらと共に「ビッグスリー」と呼ばれる超豪華トリオを結成しました。その後も、シカゴ・ブルズやクリーブランド・キャバリアーズなどのチームに所属し、NBAチャンピオンに3回輝いています。

ウェイドは、優れたドライブスキルやダンク、ミドルレンジシュートなど、オフェンス面での高いスキルと、ディフェンス面でも抜群のスピードと反射神経を持っていました。彼はまた、NBAファイナルMVPやオールスターゲームMVPなど、数多くの個人タイトルも獲得しています。

バスケットボール以外でも、ウェイドは慈善活動や社会貢献活動にも積極的に取り組んでおり、2012年には、アフリカの子供たちを支援するための財団「Wade's World Foundation」を設立しました。また、ウェイドは2019年に現役を引退し、現在はNBAの解説者やビジネスマンとして活躍しています。

ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)の成績

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ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)は、多くのNBA記録を持っており、数々の業績を残しています。以下に、ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)の主な記録・業績を細かく解説します。

  • NBAチャンピオン 3回(2006年、2012年、2013年)
  • NBAファイナルMVP 1回(2006年)
  • NBAオールスターゲーム出場 13回
  • NBAオールスターゲームMVP 1回(2010年)
  • All-NBA First Team 2回(2009年、2010年)
  • All-NBA Second Team 3回(2005年、2006年、2011年)
  • All-NBA Third Team 2回(2007年、2012年)
  • NBAスキルチャレンジ優勝 1回(2006年)

ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)の年俸推移

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ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade)の年俸推移は下記の通りです。

年度 チーム 年俸
2003-04 マイアミ・ヒート 100万ドル
2004-05 マイアミ・ヒート 1,445,640ドル
2005-06 マイアミ・ヒート 2,610,000ドル
2006-07 マイアミ・ヒート 12,136,500ドル
2007-08 マイアミ・ヒート 13,041,250ドル
2008-09 マイアミ・ヒート 14,045,000ドル
2009-10 マイアミ・ヒート 15,097,000ドル
2010-11 マイアミ・ヒート 14,200,000ドル
2011-12 マイアミ・ヒート 15,691,000ドル
2012-13 マイアミ・ヒート 17,182,000ドル
2013-14 マイアミ・ヒート 18,673,000ドル
2014-15 マイアミ・ヒート 20,164,000ドル
2015-16 マイアミ・ヒート 20,000,000ドル
2016-17 シカゴ・ブルズ 23,200,000ドル
2017-18 クリーブランド・キャバリアーズ 2,330,160ドル
2018-19 マイアミ・ヒート 2,393,887ドル

ウェイドは、若い頃から優れたバスケットボール選手として知られており、その後NBAに入ってからも常に高額な年俸を受け取っていました。

特に、マイアミ・ヒートでの黄金期には、複数の年度で年俸が1,000万ドルを超えています。ただし、晩年には年俸が低くなっていき、最後のシーズンでは2,000万ドルを切る年俸でプレーしていました。










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